”試合”の中でしか得られないもの

先日神奈川県の夏の甲子園の予選が始まったようですね。僕が高校3年生の頃は90回記念大会でした。
今年は100回記念大会とのことで、あれから10年が経ったと思うと、ただただ月日が経つスピードに驚きます。

甲子園のあり方や、若年層の野球のあり方について、昨今様々な議論がなされています。

どれもこれも全てを的を得ていると思わないこともありますが、ツイッターやフェイスブックなど簡単に情報が手に入るようになり、多くの人が疑問を持ち始めたということはすごくいいことだと思います。

アメリカの独立リーグとはいえ、プロ野球リーグでプレーをして6シーズン目になります。

思えば僕が野球を始めたのは小学1年生の頃。
所属した5・6年生のチームの人数が少なく、時々高学年の試合に借り出されることもありました。
小学1年生と6年生といったら、大人と子供くらいの体格差があります。守備は外野に立ってるだけ。僕のところに打球が飛んできたら、センターの6年生がものすごい勢いで走ってきてくれたことをよく覚えています。
そしてそんな中でも、1つ大きく印象に残っている出来事があります。
相手の6年生が放った大きなレフトフライ。当然そんなフライ見たこともありませんから、1歩も動けず。でもたまたま自分がいたところにフライが落ちてきたんですね。グローブ出したら入ってしまったんです。
その瞬間のベンチの監督コーチ、チームメイト、保護者の方たちの大盛り上がり。今でも思い出すことができます。

あんな嬉しい出来事ってなかなかないです。今までも。(この話前にもブログでお話しさせて頂いたことあったかと思います(^^;)

僕は運よくそんな経験をすることができました。
その後も体格に恵まれていたこともあり、小学生時代はどの学年でも大体レギュラーで試合に出ることができました。
中学校に入っても、入学してからすぐに試合に出させてもらっていたし、秋からはレギュラーで、ほとんどすべての試合に出場していました。
高校生の頃は体格のアドバンテージもなくなり、さすがにすぐにレギュラーにはなれませんでしたが、それでも比較的早い段階から試合に出ることができるようになりました。

ふとこうやって振り返ってみると、僕がこうして今でも野球を続けられている大きな要因の一つに、野球を始めた頃から”試合”に出る機会が圧倒的に多かったことは外せない一つだと思っています。

僕の場合は入ったチームのその時の状況、比較的成長が早く、学年の中では常に体力的に優れていた(中学生までは・・・)という要因が重なり、そのような状況に身を置くことができました。
小学校も父親が監督、中学校も学校の部活、それまで特別専門的な野球の技術を教わったことなんてありませんでした。

でもやっぱり試合に出ることができていたから、試合で活躍する”快感”を感覚的にわかっていたのかもしれません。だから今もまだこうして真剣に野球と向き合っています。

でも多くの人がそういった状況でないことももちろんわかっています。システムの問題にもなってしまいますが、神奈川の高校野球も部員数が100人を超える学校が数多く存在しています。
その一方部員数が足らず、合同チームで出場する高校もあります。

中学校も同じで、有名選手を輩出したり、優れた指導者いると有名になったチームには100人単位の部員が集まりますが、人が集まらずなくなってしまうチームや学校の野球部もあります。

切磋琢磨して、試合に出れなかった悔しさを感じるのもすごく大切だと思います。勝利至上主義がダメだとか、そんな安っぽい議論がしたいのではなくて、僕が今でもグラウンドに立って本当に強く感じていることだからこそ、僕の周りからだけでもまず色々と考えていきたいなと。

文章にするとまとまらず、まだま話したいことが全て話せませんが・・・

そんな思いを持ち始めて数年。その思いを形にしようと、2年前から僕も所属している一般社団法人オールネーションズが”アメリカンベースボールスクール”を横浜で開催しました。
”試合を通して野球の楽しさを知る”というコンセプトのもと始まったスクールですが、昨年は群馬でも開催し、今年は先週から千葉でも開催しています。

そして秋には横浜でも開催する予定です。

同じ志を持ったオールネーションズのメンバーが楽しく野球の向き合い方を教えてくれます。

今はまだまだ小規模ですが、この規模をさらに拡大していきたいと思っています。
そしてこれに賛同してくれる方が今後もっともっと増えてくるとも思っています。

まずは自分の周りから。
僕ももっともっといろんなこと見て感じてプレーして、色味の強い野球人になれるように精進したいと思っています。

それでは。

アメリカンベースボールスクール千葉がスタート!

先日行われた1回目のスクールの様子。